房総半島のほぼ中央部に位置する市原市、君津市、大多喜町、長南町。工業地帯や都市に隣接する一方で、対照的に田畑と森が広がる過疎化地域だ。その貴重な里山環境を活かしながら、アートの舞台として、食の場として、あるいは地域の交流拠点として活用されている。
市原市の中央部、小湊鐡道の牛久駅の東方約1kmに位置する。1928年(昭和3年)に建設された木造校舎は、1965年に小学校の移転により民間に売却された。その後、一部が火災により焼失、残った校舎も売却の危機が訪れたが、地元の卒業生を中心とした人々の熱意により、「内田未来楽校・報徳の会」が購入、所有することとなった。2013年以降は、地域の文化や歴史を継承しながら、親子の集いの場として活用されている。2014年の芸術祭「市原アート×ミックス」以降はアート作品の展示会場ともなっている。
毎週、火・木・土には朝市が開かれ、地元の新鮮な農産物や工芸品が販売されている。
平屋瓦葺で貴重な様式の木造校舎と敷地裏にある井戸跡など、当時をしのぶ景観が残されている。周辺には森や田んぼなどの里山風景が広がる。
市原市との市境、大福山を少し下った山あいの怒田集落に木造校舎が残る。
明治34年に久留里町立福野尋常小学校として創立。昭和29年に上総町立久留里第二小学校、昭和30年に上総町立福野小学校に改称され、昭和35年、現校舎を新築。以降の町村合併および市政施行により昭和46年、君津市立福野小学校となる。そして平成14年3月に閉校となり、創立100年の歴史を終えた。
現在は校門は閉ざされ、さすがに老朽化した校舎と雑草に覆われた校庭が寂しげであるが、一本の大きな木が風景を引き締めている。今後の活用方法については市でも検討されるだろうが、千葉県内でも貴重な木造校舎を地域と共に残していって欲しい。
森林面積が全体の70%を占めるという大多喜町。地元の杉の木を豊富に使って2000年12月に新築された木造校舎で、文科省の優良建築施設に指定された。開放感のある明るい校舎は、周辺の山並みに溶け込むようにデザインされている。各教室の彩光が工夫され、多目的ホール、体育館、音楽室などが中庭を囲むように立体的に配置されている。
学校は1889年(明治22年)に町村合併による老川村誕生とともに開校した。そして少子化により、2013年(平成25年)3月に130余年の歴史を終え閉校となった。
以後は地域の住民団体「やまゆりの会」によって保全されてきたが、2017年に㈱良品計画が施設運営に参画し、地域の人たちとのつながりを持ちながら地域創生の場を提供している。コワーキングスペースやワークショップ、月1回の「老川みんな食堂」でのランチづくりなどを開催している。
良品計画
https://localnippon.muji.com/3603/
やまゆりの会
https://oikawayamayuri.jimdo.com/
1947年(昭和26年)5月に老川小学校の分校として開校し、1950年に現木造校舎が完成した。その後、児童数は1960年の37人をピークに平均20-30人が通ったが年々減少し、2001年(平成13年)3月に閉校となった。
2004年から卒業生を中心とした地元の人々が「そば打ち体験教室」と「蕎麦や」で再活用をスタートさせた。「もみの木庵」として運営を法人化し、「分校のお蕎麦やさん」として人気が高い。(町からは管理費として月2万円の補助があるのみとか。)
昭和のままの小さな木造校舎は、教室や廊下も閉校当時のままの姿を残している。周辺をクヌギやもみの木で囲まれ、カブトムシやクワガタもたくさんいたという。
1896年(明治29年)に開校し120年を超える歴史を持つが、2017年(平成29年)に周辺4校の統合により廃校となった。現建物は昭和51年以降に建築された立派な校舎だ。
2018年に㈱マイナビと使用貸借契約を結び「仲間と泊まる学校ちょうなん西小」としてオープンした。広いグランドや体育館を活用した社員研修や学生のサークル合宿で使われることが多いという。「ちょうなん西小カフェ」や図書室、キッズルームも併設し、地域交流の場ともなっている。若いスタッフの多くが地元出身者で、地域での雇用創出という意味でも価値のある取り組みだ。